長井坂ガイド

熊野古道 大辺路街道 長井坂

長井坂の稜線付近

長井坂は、一名長柄坂とも呼ばれ、和深川集落の奥から見老津長井谷の谷口に至る延長4.5キロメートルの大辺路街道の峠道で、国の史跡に指定されているとともに世界遺産にも登録されています。

現在の和深川の上り口は、本来はこれより下流のJR双子山トンネル口の附近ですが、線路横断を避けて、このアクセス道を設置したものです。この附近には、江戸時代からの「猪垣」がいまだにその姿をとどめています。
この坂を上りきると、やがて陸線にさしかかります。そこから見老津側の下り口までは、標高250メートル前後で、多少の起伏のある腐葉土の重なる歩きやすい平坦道が続きます。
やがて行くと右側に国道42号の道の駅「イノブータンランド」からのアクセス道と出会うことになります。

長井坂から見老津の集落と江須崎を眺望

 更に南下を続けると、右側の海上に樹木の生い茂った「沖の黒島」と「陸の黒島」の二島が姿を現しますが、面白いことにこの島は常に歩行者の右側に位置して、後方に見ることはありません。おそらく黒島は、「扇の要」に当たり、古道は「扇の半円部」に当たっているのでしょう。
やがて前方には見老津戎島・江住江須崎・里野三崎が海に向かって突き出し、その南方はるかに潮岬を眺望することができます。古今の文人墨客がこぞって絶賛した、まさに無双の絶景です。

段築

 古道の途中には、二箇所にわたって「段築」が構築されています。段築は、分水領となる丘陵部を土手状に整形し、古道平面のレベルを一定に保ち、降水による土砂の流出を防いで通行をスムーズにしたものと考えられますが、官道としての古道の構築や管理維持上からみて、極めて重要な事例とみられます。

やがて見老津側の下り口に達すると、そこからは急傾斜の下り道で、中途に「茶屋の段」があり、今は電話中継アンテナが建っています。ここには江戸時代からの石の道標が建っていて、「みぎハやまみち、ひだりハくまのみち」(右は山路、左は熊野路)と刻まれています。

道分け石
かつて道標のの近くには「弁当掛け松」といわれる松の大木がありました。
昔の周参見の人は、正月の初午の日に潮岬神社に厄除け祈願参詣をする風習がありました。当日は早朝周参見を発ってここまで来ると、弁当やお茶をこの松の木に掛けて潮岬に向かいました。これより先は「水絶ち、食い絶ち」の願かけである。無事参詣を済ませ帰路を急ぐが、だんだんと飢えと渇きがきつくなり、里野に辿り着いた頃は歩くのもやっとの思いであったといいます。それかあらぬか、里野には今でも「かつえ坂」という場所が残っています。やっとこの「茶屋の段」に到着して弁当をおろし、茶と食にありついた喜びは、まことに厄除け祈願は満願成就の感であったことでしょう。

これより県道のアスファルト道を通らず、さらに山中の古道の急傾斜を下りきると、見老津の長井谷口の線路踏切りに達し、長井坂は終わります。

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